lunatic studio live

猫飼いの気儘な絵描き。元ピアノ弾きで腱鞘炎持ち
猫飼いの気儘な絵描き。元ピアノ弾きで腱鞘炎持ち
先日のコウノドリ #10 おまけ2

先日のコウノドリ #10 おまけ2

●どこまでが 「人」 に許されるのか

木村「でもさぁ、検査で分かるのは一部の染色体の疾患だけじゃない?
   何で出生前診断で分かるこの子達だけが弾かれるの?
   このまま、生まれる前に検査することが当たり前になって……どんどん…、ダウン症のある
   子、いなくなっちゃうんじゃないかなぁ、って…」


前シリーズの最終話ラストで、サクラは言った
「僕は、生まれてくる命に意味の無いものなんてない、と 信じている」  って。
いみじくも、あの時の話も新型出生前診断がテーマの一つだった。今回に比べたらほんの触り、ずっと軽く浅い捉え方のお話構成だったけど。
 
「ダウン症」の子がいなくなる――いいことだ、ありがたい、良かった、と思う人だっていると思う。少なくとも、それに因って辛い思いをする人は減るだろう。苦労する人も減るだろう。思い煩う人だって減るんだろう、多分。
でも引っかかる人だって多い筈。私だって引っかかる。
だって、今現在生きてるダウン症の子・ダウン症の人々はどうなる?いずれ消えていく病を負った人々として区別されてしまうのか?
では、その家族は?彼らの想いは?一緒に区別され、いずれ失くしてしまってよいモノなのか?
それになにより、ダウン症だからって、お腹の中に宿った時点で消されてしまった命は、どうなる?そういう命に、生まれてくる意味はないのか?
そして、私が一番怖いと思うのは、「それが当然」という時代になってしまった時。
全ての人が、命の選別をすることに罪悪感どころか、迷いも逡巡も躊躇いすらも感じなくなってしまった時、
果たして人は、「人」と言えるのか? 
結果のみを見、その過程で他の命を切り捨てることに何の罪悪感も感じない
そんな人間…ロボットとどこがどう違うんだ
 
優れたものは生き残り、劣ったもの・瑕疵あるものが淘汰されて消えていく。
それは確かに世界の常で自然の摂理なのかもしれないけど。
確かに、人の智によって、いずれ全て異常は治癒され、病気は消えていくかもしれないけれど。
でも、それが純粋に「医療の進歩だけ」に因る結果であるなら、ここまでの逡巡は誰にもない。
其処に「人の手」が介在してしまうから、迷いや躊躇い、逡巡がおこる。

人の手によって、健康な命のみを残し、病気の命を消すこと。
これは結局、人の意志の下に、人の命を抹殺する、という行為だ。
決して自然淘汰によるものではない。殺人と何も変わらない。
…そう思ってしまう人も、確かにいるだろう。

どちらが正しいのか正しくないのか。どこが間違っているのか、それともいないのか
それは誰にも分からない
正誤を決める権利は、誰にもない



●親にとっては、どちらも同じ我が子 なんだけどね…

辻妻「私たちがいなくなった後、愛梨(長女)に全部任せるなんて出来ないよ」
辻夫「そうだな……そうだよな…」

何故中絶を選んだのか、医師たちに対しては主に経済的な理由を挙げた辻さん夫婦。
その中で夫がサラリと告げた「ウチにはもう一人上に娘がいるので」の意味が、中絶を選ばざるを得ないもう一つの重大な理由が此処に在る 

辻さん夫婦はおそらく40代半ば。もしダウン症を患っているお腹の子を産むとすれば、その子が成人するころ、辻さん夫婦は60代半ば過ぎ。夫婦が平均寿命まで生きたとしても、ダウン症の我が子はまだまだ60前後。
どんなに親が長命であったとしても、子の最期をちゃんと看取ってやれるかどうか、わからない。
親はいずれ、子を残して死ぬ。
そしてその後を背負うのはその子の肉親。つまり、きょうだい。
親亡き後、ダウン症の弟(もしくは妹)に関するすべての責任は、血の繋がった身内である長女にかかってくるのだから

自分達の亡き後、愛梨(娘)に苦労させたくない
いくらきょうだいだからって、娘一人に負担は掛けられない

そんな明代さんの想いは、
「アンタが苦労するところを見たくない」
と言って娘に中絶を勧めた透子さんのお母さんの想いとも重なる
だから、単純に中絶=悪とは決められない。

母にとっては、どちらも同じ我が子。でも……。

『命の選別』は、こんなところでも起こっている



「(検査を)受けない権利、ね…」 (by小松)

小松「何で (出生前診断を) 受けなかったの?」
武田「悩むのが、怖いから…?」
小松「……」
武田「どんな子供でも受けいれる!自分の子供なんだから!
   …口で言うのは簡単なんだけどね…」


一概には言えないけれど
望みや願いを「権利」と決め定めてしまうと、大抵の場合、事態は余計に複雑化する
「権利」には「義務」が伴うってことを、認識していない人があまりにも多いから
…ま、その辺はとりあえず置いといて

医療従事者(助産師)である武田さんをして
「怖い程に悩む」「口で言うのは簡単だけど…」
と言わしめる。
これは、それ程に、結論を出すのが難しい問題なのだ、という事。

妊婦に寄り添う助産師ですら、自分自身がそういう立場にならなければ当事者としての苦悩や悩みは解らない。
人は所詮、自らが直接体験しなければ何事も、ホントの処なんて認識も理解もできない。
他者の立場に共感することは、それ程に難しい。
…命に寄り添うってことは、それ程に難しい。


●そう、寄り添うの。大切なわたし達の仕事だよ? (by武田)

「お母さんに寄り添うのが一番重要な自分達の仕事」
助産師・武田さんは、小松に対し、堂々とそう言ってのける。
でも、応じる小松は、どこか迷ってる風。

「患者に寄り添う」
それは、サクラも、普段の小松自身も、口癖のように言う言葉だ
でも、それが今の小松には難しい
辻さん夫婦と高山さん夫婦、彼らの選択を見守ってる立場の、今の小松には

それは、当の小松自身も、中絶を選ぶ夫婦に対して、モノ申したい気分があるから、なんだろう


●「大丈夫」は、「大丈夫じゃない」

サクラ「ただ、人工死産は体への負担だけでなく、お母さんの心にも負担がかかります」
明代「私のことは…いいんです…私は、大丈夫…」


最終的に、やはり中絶すると決断した辻さん夫婦。
流産(人口死産)の処置の説明中、サクラに心身を気遣われるも、「大丈夫」と気丈に答える明代さん
心身の苦痛を、罰せられることを、当然の報いだからと敢えて受け入れようとしてる風に見えた
自分の都合で切り捨てる命に、詫びることすら出来ないんだから、痛みぐらい…って

こういう場合、本人も辛いが、見てる方も辛い


●輪島塗の臍帯箱

小松「キレイな箱。何が入ってるの?お菓子なら一つちょうだい」
四宮「へその緒です」
小松「Oh!食ーベラーレナーイ!


#10唯一の和みポイントだったココ。小松さん、何故にエセ外人風?(笑)

にしても、輪島塗とはね!
私のは普通の桐箱だった記憶があるけど(一般的にもそうじゃないかと思うんだけど)、
石川県では輪島塗の箱が当たり前なの?
イイなぁ、その土地独自の特色あって。


●へその緒は「お守り」

小松「お父さんの気持ちだね。しのりんを護ってくれますように、って」


妹が持ってきた四宮のへその緒。四宮に渡すよう、妹に託したのは父。

親としての最期の願い、だね

渡そうとした時点で父は死期を悟ってたろうし、受け取った時点で息子もそれに気付いて覚悟しただろう。
なのに、四宮がどこか落ち着いて見えるのは、前話で既に別れは済ませているから、かな…
だからって、辛くないわけではない。苦しくないわけないし、哀しくないわけもないが。

そういや、前シリーズの#2では、同じ小松さんが
「へその緒」はお母さんの勲章だ、って言ってたなぁ…


●「後悔のない選択」は ない (by鴻鳥サクラ)

透子さんとサクラ・今橋とのカウンセリング。横に夫がいないせいか、今回の透子さんは前回に比べて受け答えがしっかりしてる。透子さん曰く、夫は、堕ろせと言う義父義母の言いなりらしい。然も在らんや…
透子さん自身は、産む、という事について完全忌避はしてない。ただ自信がないのだ、と。
実は不妊治療の末に今回の子を授かった高山さん。ああ、それじゃあ余計に辛かろうなぁ…産むにしろ産まぬにしろ…

サクラ「どんな選択をしても後悔することはあるんだと思います
    その後悔を減らすには、しっかり悩んで決断して、その決断の中で赤ちゃんに何をしてあげら
    れるかを考える事です」
サクラ「お二人で向き合って、『ご家族の答え』 を見つけてください」



選ぶことは、捨てること だ
そして、「後悔」ってのは、切り捨てた筈のものへの未練と執着だからね
だから、捨てたものへの愛情が深ければ深い程、その後悔も深い

どちらを選んでも後悔するのなら、出来るだけ後悔の量が少ない方を選んでほしい
そのためにも、ちゃんと現実に向き合ってほしい
外野から無責任に私見を言うだけの「他人」の意見じゃない、赤ちゃんの「お母さん」と「お父さん」としての、「家族の答え」を見つけてほしい
それが、もしかしたら、今お腹の中にいる赤ちゃんへの最後の贈り物になるかもしれないんだから



●ならば、何故? 

明代「先生」
サクラ「はい」
明代「…一つ、お願い……最後…この子、抱いても良いですか…?」
サクラ「………
(微笑んで)…わかりました」

「解りました」までの僅かな「間」がサクラの中での「揺れ」なんだな、と思った
明代の望みを聞いて、当然と納得し、望みを叶えてあげたいと思うと同時に
「なら何故…!」 って
心の片隅で、サクラはきっとそう思っただろう

でも、やっぱり辛いよね。辛いに決まってる
だって、自分の子だよ?へその緒通して今も自分と繋がってる、自分の体の中にいる、自分の分身とも言える存在。それを自分自身の意志でその片割れの命を絶つっていうんだもの、自分の半身切り捨てるようなもんだ。
苦しいよ。痛いよ。痛いに決まってる。心が。
だって、例え自己都合で命を切り捨てたんであっても、決して望んでそうしたわけじゃない
サクラは明代のこの痛みもちゃんと解ってる

どちらの気持ちも明代にとっては真実で、そこに嘘はない
そして、サクラはその事を十分すぎるほど理解してる
だから、揺れる。明代さんも、サクラも


●鎮魂歌 

明代さんの赤ちゃんの「処置」を終えた後、深夜のブルース・アレイにやって来たサクラ。
閉店後の人気のないステージで、サクラは独り、静かにピアノの前に座る

椅子に座る前、立ったままピアノを見つめてるサクラの頬や喉元が、嗚咽を堪えるように小さく何度も動いてるとことか見て、その時点で既に私ゃ、泣きかけていたんだけど 
この後サクラが弾いた曲が 『BABY、God Bless You (※別アレンジ)』 だとか
曲の冒頭のラ音連打の連続するパートって、確か 『赤ちゃんの鼓動』 のイメージだった筈…とか
見てる(聴いてる)内に色々気付いて、で
ああ、今のサクラは、せっかく生まれてきたのにこの先生きていく事が許されなかった明代さんの赤ちゃんの為に弾いてるんだな、って解ったら…
本気で泣けました…(号泣)

多分、サクラが常に言う、「寄り添いたい」「相手」って、まずは「妊婦さん」=「お母さん」なんだろうけど
サクラ的にそれと同じくらいの重要度で全力で寄り添ってあげたいと願ってるのは
誰に何をされても反論も反抗も抵抗すらも出来ない、その手段も能力も意志だってまだない、ただ無力で、ひたすら小さく稚く、それ故に愛おしくて護りたくてたまらない、
お母さんのお腹の中にいる「命」=「赤ちゃん」、なんだろうなと思う

だから余計に今回のサクラは辛い。余計に苦しい。切ないし、遣る瀬無い。無力感があり、怒りがある。
二つの命のどちらかに寄り添おうと手を伸ばすと、もう片方の命へ伸ばした手を離さなきゃならない
「お母さん」も「赤ちゃん」も救いたい、というのが、産科医を志した子供の頃からのサクラの願いなのに
両方の命に等分に同等に寄り添いたいのに
今のサクラにはその力がない


●鎮魂歌 その2

明代「抱っこ、させてもらったんです。すごく小さくて……でも……温かかった…!」


サクラは明代の望みを叶える。
死産の我が子を抱くことができた母に最後に残されたのは、小さな命の温もりだけ
泣き崩れる明代さんと、肩を抱く小松さん。
前のシーンに被る形で続くこのシーン。
失われた小さな命の重さといずれ消えていくだけの温もりの記憶
BGMのサクラの奏でるピアノが哀しい

…アカン、今回涙が止まるきっかけがない…どのシーン見ても泣いてまう…(涙)
 






その3へ続く
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